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会津若松・白虎隊の自刃の地である飯盛山に立って想う!!

白虎隊6

会津若松・白虎隊の自刃の地である飯盛山に立って想う!!

  武士道が、日本国民の中から失せてしまい「エセ日本人」が「武士道」を論じる浅ましさは見るに忍びない!!

 武士道精神が、脈々と引き継がれている会津の地にたって身の引き締まる思いがする・・・・。

白虎隊(びゃっこたい)は、会津戦争に際して会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。

中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいたほか、幼少組として13歳の少年も加わっていた。

幕末の会津藩が組織した部隊には他に玄武隊朱雀隊青龍隊などがある。名前の由来は、中国の伝説の神獣である「白虎」からである。

白虎隊は本来は予備兵力であった。隊は士中隊、寄合隊、足軽隊から成り、充足数はおよそ340名程度とされた。

なお、装備していた火器は旧式銃(ヤゲール銃ゲベール銃の短銃身化、前装装条銃)のみであったとされる。

これは火縄銃よりはましというレベルの装備であり、新政府軍の主力たる西南雄藩部隊の装備に対して著しく劣っていた(そもそも東北諸藩のほとんどは、旧式軍備の更新を行わないまま戊辰戦争に突入していた)。

会津藩では若松城(鶴ヶ城)を死守すべく、若松へと至る街道口に主力部隊を展開させて防備に努めたが、圧倒的な物量で迫る新政府軍に対しては劣勢は否めず、その上重要な進軍路であった十六橋を落とすことに失敗したという防衛戦略上の不備も重なり、本来城下防衛の任に当たるべく組織された白虎隊も、これを支援する形で前線へと進軍した。若年兵の投入が焼け石に水なのは誰もが承知のことであったが、老若男女が玉砕覚悟で臨む戦局にあっては是非もなく、白虎隊は各防衛拠点へと投入された。

しかし会津軍の劣勢は如何ともし難く、白虎隊も各所で苦戦を強いられ、最精鋭とされた士中隊も奮戦空しく撤退を余儀なくされた。

一般に白虎隊は若松城周辺の火災(もしくは城周辺から上がる湯気)を目にし落城したと誤認して悲観したとされているが、飯沼が生前に伝え残した手記『白虎隊顛末略記』(飯沼からの聞き書きに飯沼本人が朱を入れたもの)によれば、当時隊員らは鶴ヶ城に戻って敵と戦うことを望む者と、敵陣に斬り込んで玉砕を望む者とのあいだで意見がわかれ激論を交わし、いずれにせよ負け戦覚悟で行動したところで敵に捕まり生き恥をさらすことを望まなかった隊員らは、武士の本分を明らかにするために飯盛山で自刃を決行したという。

途中はぐれた庄田保鉄らはその後、鶴ヶ城に入城し、士中一番隊の生存者と共に白虎士中合同隊となって西本丸を守った。

籠城戦は1か月続いたが、最終的に会津藩は降伏した。

白虎隊の構成[編集]

  • 士中一番隊 49名、二番隊 42名
  • 寄合一番隊 106名、二番隊 67名
  • 足軽隊 79名

から成り、合計343名である。

荒木一弘(弘永)

煉誠館代表。武術家。半僧半俗の山伏。
日本の古流武術を通じて、自身と向き合い、より良く生きる方法を模索する。

武士道とは何なのか? 時代によって全く違う武士の性質

現代日本において、武士という存在には馴染みがなくても、「武士道」という言葉は耳にすることがあるかと思います。

会話の中で、「武士道! 私も好きです!」「自分は武士道を実践しています!」などという言葉が飛び交ったならば、私もついつい喜んでしまうわけです。

が、会話を続けていると、どうも噛み合わない。自分が頭に思い描いている武士道のイメージと、何かが違っている。果たして、この方が口にしている「武士道」とは、何を示しているのだろうか? そう感じることが、少なくないのであります。

あなたにも、そのような経験はありませんでしょうか?

人によって「武士道」のイメージが違っている理由

改めて、武士道とは何か? と問われた時、万人が納得するように答えられる方は稀であるかと思います。

私とて怪しいものです。パッと思い浮かぶのは、「武士の行動原理、武士としての理想的な在り方を追求するための思想」といった類ですが、それは武士道という思想を明確には示しておりません。
具体性がない、というよりは、とても一言で語れるものではないからです。

最も大きな要因として「武士が規範とする言動が、時代によって違いすぎている」からです。
当たり前ですが、武士道の成立には「武士」という存在が不可欠です。が、その「武士」という言葉が示す人物像が、時代によって大きく異なるわけですね。

戦国乱世の武士と、江戸の平和な時代の武士とを比較した時、それらは同じ行動規範を持っていたでしょうか。
明治維新の後、武士という階級が失われている時代に人々が思い描く武士の姿は、かつて実在した武士と全く同じでしょうか。

武士という存在の定義が異なれば、その武士が拠り所とする思想が違うのは当然であります。
織田信長と、柳生宗矩と、土方歳三が、同じ価値観を持っていたか? と考えれば簡単です。とても「武士道」と一括りで表現できるものではありません。

武士道という言葉を耳にしたならば、「果たしてその武士道という言葉が示しているのは、いつの時代の、誰の武士道なのか?」ということを判断しなくては、話が噛み合わないのも当然なのです。

時代別の武士道の概略

武士という言葉の曖昧さが混乱を招いているのなら、時代ごとの「武士の概略」が掴めれば、武士道に対する理解が深まるかと思います。
 武士道を知るには、まずは、武士を知らなくてはいけません

  • 古武士の武士道 ―実力行使で他を圧倒するための思想―

時代:平安時代~室町時代
代表的な人物:平将門、源頼朝、足利尊氏

この頃の武士は「兵(つわもの)」等と呼ばれ、武力が大きな影響を持っていた。源平時代が、象徴的である。
 武士の世界にあっては、近代の武士のような道徳は語られず(世を憐れに思う気持ちや、人としての自然な情は別)、武力で他を圧倒し、土地を治め、守るという実質的な側面が重要だった。
銃器のような近代兵器もなく、武力の価値が大きかった。剣や弓に通じることが、自身の身を立て、財を築く近道だった。この頃の武士は、恐ろしく、純粋な戦闘者としての色合いが強い。

  • 戦国乱世の武士道 ―戦闘者としての思想―

時代:安土桃山時代(戦国時代)~江戸時代初期・代表的な人物:武田信玄、上杉謙信、織田信長、徳川家康

戦国大名たちが、武力や計略で領土を広げ、各地で戦闘が頻発した時代。目的は、自身の勢力を拡大するためである。合戦で敵を斬ることが、評価へとつながった。
 一部の戦国大名などは、仏教や儒教の影響を思わせる道徳的な格言を残しているものの、下位の武士による略奪行為も頻発、許容されており、武士の社会は総じて道徳を重視してはいなかった。

  • 江戸時代/平和な時代の武士道 ―儒学的、仏教的な解釈を持つ思想―

時代:江戸時代初期~後期・代表的な人物:山鹿素行、大道寺友山、柳生宗矩、山岡鉄舟

混沌とした戦国時代が終わり、秩序によって政治が行われ、平和が保たれていた時代。
戦場での武勲が得られなくなった分、武士の存在意義を戦闘以外の部分に見出す傾向が強まった。

儒学の影響においては、私的な理由ではなく、道徳や公のために命を働かせることが貴ばれた(為政者の立場から、武士の道徳を儒学で解釈したものは「士道」と呼ばれ、厳密には武士道と区別されます)。
また、仏教など宗教的な境地を、剣の境地に重ね合わせる武芸者も少なくなかった。

  • 葉隠の武士道 ―過激ゆえに解釈が難解ではあるが示唆に富んだ思想―

時代:江戸時代中期・代表的な人物:山本常朝

江戸時代の太平の世に現れた、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」の一節で有名な思想。
佐賀鍋島藩士・山本常朝の口伝が主体となっており、当時流行していた儒学や仏教と結びつく武士の在り方を批判するような表現が多い。
 江戸以前、戦国乱世の武士の気概を感じさせながらも、処世術を指南する内容も少なくない。

  • 明治時代の武士道 ―武士という存在がいなくなったときに生まれた思想―

時代:明治時代・代表的な人物:新渡戸稲造

明治維新によって武士という階級が失われた後に、かつての武士に倣うべく現れた新しい思想。新渡戸稲造が記した「武士道(Bushido,Soul of Japan)」があまりにも有名で、代表的。
従来の武士道は、程度の差はあれど、刀を帯びて、ここぞという時には命を捨てるという気概があった。戦闘者であることを前提としていた。
が、明治武士道は、古来の武士を引用しながらも、その根源的な狂気には触れず、道徳的な意味合いを強調する傾向がある。特に、新渡戸稲造の武士道は、武士道という名を借りて、別の目的を果たそうとした一面がある。現代人が武士道というときは、この明治武士道(というよりは、新渡戸武士道)を思い浮かべることが多い。

  • 士魂商才の武士道 ―渋沢栄一が提唱した商人の道―

時代:大正時代
代表的な人物:渋沢栄一

日本資本主義の父と言われる渋沢栄一が提唱した思想。渋沢栄一は、神道無念流や北辰一刀流を学んだ武人だった。徳川慶喜の家臣として過ごした時期もあり、明治以降は、実業家として、現在でも高名な企業の設立に関わる。
そんな彼が「論語と算盤」という著書の中で、「士魂商才」という言葉を唱えている。武士の精神

(儒学の影響をもつ武士道)を、経済活動に結びつけ、私利私欲のための不道徳な商人を否定した。広く解釈するのであれば、この思想も、武士道の一つであろうかと思う。

細かく分ければ他にもたくさんありましょうが、私としては、これくらい知っておけば及第であろうかと考えております。

ざっと挙げただけでも、時代ごとに大きく異なっているのがお分かりかと思います。これだけ性質が違うものを、一括りで「武士道」と称するのは、やはり無理がありましょう

かつての武士たちの行動規範を知り、現代人として応用していくことを望むのであれば、まずは、自分がどの武士道に惹かれるのかを明確にしておかないと、訳が分からなくなります。

先に言ってしまうならば、現在、多くの人が武士道だと思っているのは、明治時代に新渡戸稲造が書いた「武士道」に影響を受けた道徳規範が大半であります。が、彼が記した道徳は、武士道の全てを語るものではありません。

無論、武士道に優劣はなく、それぞれの時代の武士たちが、自身の全存在をかけて追及した道です。その奥には、愚直に生きた者だけが持つ、現実に即した知恵が詰まっています。

幅広くそれらに触れ、自分なりの武士道を見つけていく過程にこそ、現代人が武士道に触れる価値、人間的な成長があるのではないでしょうか。

元来、武士道と道徳は関係がなかった

現代を生きる我々が、「武士道」という言葉を耳にした時、誠実で道徳的な人格者を思い浮かべるのではないでしょうか。弱きを助け強きを挫く、理想的な正義の実践者……そのようなイメージです。

が、先の分類を見ていただければお分かりの通り、本来、武士道と道徳とは全く関係がありません。武士は、どこまで行っても戦闘者であり、人と斬り合うことが視野にあるからです。人斬りという行為は、道徳と相容れるものではありません。
もちろん、一生、刀を鞘から出さないという選択もあります。が、その姿勢も、刀という斬り合いの武具を手にしているからこそ生じるわけです。

これは、武士道を理解するうえで、とても大切なことです。

武士道が道徳と強く関連するようになったのは、江戸時代に入ってからだと、私は考えています。
戦乱の世が終わり、平和になった時、武士は戦場を失いました。戦いによって、自分の価値を示すことが難しくなったのです。今までと同じ価値観では、全く通用しなくなったわけです。

ちょうどその頃、江戸幕府が朱子学を正学とした徳治政治を目指すようになり、武士の間で朱子学が広く学ばれるようになりました。

思考の基盤に儒学的な考え方があるのなら、当然、自分自身の存在価値を模索するとき、儒学的な解釈が入るのは当然です。儒学と武士の生き方を重ね合わせると、その思想は、武士の存在を肯定するのに十分な説得力があったのでしょう。

また、仏教的な深い境地と、剣の境地を重ね合わせる、新陰流のような剣術流派が世に知られるようになったのも、江戸時代になってからです。
 新陰流の柳生宗矩は、臨済宗の沢庵和尚との交流の中で「剣禅一如」を取り入れ、武士の嗜みたる剣術に、精神修養としての道を与えました。それまで人を斬ることが主目的だったものに、それ以外の、人を救うための方法を組み入れたのです。

その影響は甚大で、以降、剣術を始めとする武術の修行者は、この思想を無視することは出来なくなったと予測されます。

儒学と同じように、剣の技が、武士としての自身の存在を肯定してくれたからです。あるいは、多くの武士が武術修行の中で感じていた境地が、仏教のそれに近しいということが明確な言葉で表現されたために、受け入れやすかったのかもしれません。
(実際、武術を長く稽古していると、そう感じる瞬間は少なくないのです)

江戸時代以前にも、仏教を信仰する武士は多かったし、剣と仏教を結び付けた人もいたでしょうが、戦場を駆け巡って人を殺すことが名誉であった時代に、それが表層化して広く受け入れられることはなかったと考えられます。

いずれにしても、武士が常日頃から親しんでいる儒学という学問と、剣術(兵法)という武術の両面から、自身の価値が「道徳的な精神」にあると教えられたわけです。他に存在意義を求める理由はありません。

もちろん、身分制度の頂点に立つ者として、人々の規範になることを求められたのも、無関係ではないでしょう。単に人殺しが上手なだけでは、誰からも尊敬されません。

本来、道徳と全く関係なかった武士道は、このような時代の流れと共に、道徳的精神と強く結びつくことになったのです。

以上

これ如何に

武士はいかに生きるかと同時に、いかに死すべきかを考える道。
武士には正しい生き方をするのと同じく、正しい死に方がある。

無駄に死ぬ事は武士は犬死と言う。
無論、天寿を全うして死ぬのが良いが、もし死なねばならない時には誇りを捨てて、身を処する。
いつでも死ねる勇気を持つこと、武士は正義の中で生きること。

学なき武は 匹夫の勇

       真の武を知らざる 文は譫言にひとし

武士道とは、己が如何に「大義のため」に清く死ぬかという事である!!

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