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星野仙一監督との思い出は、尽きることがない!!

星野2

星野仙一監督との思い出は、尽きることがない!!

楽天の監督就任前までは、良く一緒に遊んだものです・・・。

 プライベートなことも、色々と話して意見を聞かれた事も多々あります。

 週に2回、東京に上京してTV等の仕事をしていましたが「ホテルオークラ」に宿泊していましたので、私は週に2回「ホテルオークラ」に行って食事をしたり雑談をしていましたし、一緒に旅行をしたこともあります・・・・。

 3年ほど前でしたか、星野監督から

「背中が痛いんじゃが・・・」

「なんかいい治療はあるかのう」

と、久しぶりに電話がありましたので、早速、関係者2人を連れて「ホテルオークラ」の部屋まで行って治療をしましたが、歩行も依然と違って辛いようでしたが治療後は、部屋の中を歩き回り

「楽になった・・・!!・・・!!」

と、喜んでいました・・・・。

この時から、すい臓がんだったんですね・・・。

 その後は、電話で話したり喫茶であったりしていましたが・・・・。

 このいきなりの訃報に、驚いてしまいました・・・・。

 私も、色々な業界のトップの方たちとの付き合いがありますが、星野仙一監督は「男の中の男」でした。

 物事の良し悪しを明確にして、即断即決の御仁でした・・・・。

 ただエピソードとしては、星野監督の「占い好き」と「占いを信じる」姿には驚かされました・・・。

 おかげで、静岡まで行って9社の神社参拝を朝から晩まで付き合わされたこともありますが、今は思い出です・・・。

 何故、9社もの神社参拝をしたかって?

内緒だぞ!!

台湾の占い師が、赤坂で酒を飲んでいる時に・・・

「監督には生霊がついています!!」

「えっ!!」

「その人の名前は、野村監督です!!」

と言われて、2日後に占い師を含めた4人で静岡の浅間神社から9社の神社参拝をしたのです!!

星野仙一、衰えぬ闘志…球界のため「野球クジ」導入も提唱していた

AERA dot.

 1月4日にすい臓がんで亡くなった星野仙一氏(享年70歳)。球界きっての闘将と呼ばれた男は最後まで弱い姿を見せぬままこの世を去ったが、改めてその野球人生を振り返ってみたいと思う。

 星野の野球人生は反骨の歴史と言っても良いだろう。倉敷商時代はあと一歩のところで甲子園出場を逃し、明治大ではエースとして活躍しながらも4年間で一度も優勝を果たすことができなかった。

 そしてドラフト会議では指名すると約束されていた巨人が高校生の島野修を指名したことをバネに『巨人キラー星野』が誕生したと言われている。星野の対巨人戦通算勝利数は35勝で、これは江夏豊と並んで歴代6位の数字である。

 これを上回る5人(金田正一、平松正次、山本昌、村山実、杉下茂)はいずれも200勝以上をマークしている名投手であるが、星野の通算勝利数は146勝。

 対巨人戦の勝率では前述した投手の中でもトップの.530であり、このことからも星野がいかに巨人戦に強かったかがよく分かるだろう。そんな『巨人キラー星野』のハイライトといえるのが1974年のシーズンだ。

亡くなった星野仙一氏 (c)朝日新聞社

亡くなった星野仙一氏 (c)朝日新聞社

 先発、リリーフでフル回転して15勝、10セーブをマークして巨人のV10を阻む原動力となったのだが、優勝を決めるマウンドに立っていたのが星野だったのだ。

 この年星野は沢村賞と最多セーブのタイトルも獲得している。しかし通算成績は前述したように200勝には大きく及ばず、名選手ではあったものの歴史に名を刻むほどではない。

 星野の凄さはむしろこの後の監督時代にあったと言えるだろう。

 1987年、40歳の若さで中日の監督に就任すると二年連続で三冠王に輝いていた落合博満を大型トレードで獲得。

 翌年には高校卒ルーキーの立浪和義をいきなりショートのレギュラーに抜擢するなど大胆な編成、選手起用を見せて就任2年目の88年には見事に優勝を果たした。1991年限りで一度監督を退任するものの、96年に再び復帰。

 合計11年間指揮を執り、2度のリーグ優勝と8度のAクラス入りという成績を残している。その中でも特に見事だったのが二度目の優勝を果たした1999年だ。1996年までの中日は「強竜打線」と呼ばれたホームラン攻勢が最大の持ち味だったが、翌年に開業した広いナゴヤドームの影響でチームは一気に最下位に転落。

 その教訓から投手を中心とした守りの野球にシフト。野手もトレードで関川浩一、久慈照嘉、外国人も李鍾範とスピードと守備に定評のある選手を獲得し、わずか二年でチームを一気に作り替えて優勝して見せたのだ。ここまで短期間で劇的にチームカラーを変えて結果を残した例はそうはないだろう。

 この頃には完全に「中日の顔」となっていた星野だが、その存在は一球団にとどまらないものとなっていく。2002年に中日のライバル球団でもある阪神の監督に就任すると、それまで9年連続Bクラス、4年連続最下位に低迷していたチームを立て直し、わずか二年でチームを優勝に導いたのだ。この時に星野が行ったのが大胆な「血の入れ替え」である。

 2002年のシーズンオフには実に20人以上の選手が退団し、金本知憲、下柳剛、伊良部秀樹などを獲得して主力を一気に入れ替えて、それが翌年のリーグ優勝に繋がった。

 結果的には長期的なチーム強化には繋がらなかったものの、何が何でも優勝を経験させるというこのやり方は長年低迷するチームの閉塞感を打破する意味では非常に有効であったと言えるだろう。健康上の理由で監督を務めたのはわずか2年だったが、阪神はその後も常にAクラスを争うチームへと変化している。

 その後は北京五輪日本代表監督に就任したものの本大会ではメダル獲得を逃し、星野の時代は終わったかに見えたが、燃える男の闘志はまだ衰えてはいなかった。

 2011年、球団創設以来下位に低迷する楽天の監督に就任。最初の2年間はBクラスに終わったものの、就任3年目の2013年には球団創設初の優勝、そして自身も初となる悲願の日本一を達成したのだ。

 阪神時代と同様に選手を大幅に入れ替え、松井稼頭央、岩村明憲など実績のある選手を獲得したものの、就任から二年間は結果が出なかった。そこで星野は中日監督時代に見せた積極的な若手の抜擢を断行。実績のある日本人選手、大物外国人選手と若手の融合は星野の監督としての集大成にふさわしいチームであった。

 異なる3球団を優勝に導いた監督は三原脩、西本幸雄に続いて史上3人目の快挙である。元々強かったチームを率いるのではなく、低迷するチームを立て直して優勝に導いたところはまさに反骨の男、星野の面目躍如と言えるだろう。

 星野が一球団だけの存在にとどまらなかったのには、野球界全体を考える視点があったことが大きかったといえる。2016年オフ、ルートインBCリーグの10周年記念式典で行われたシンポジウム、「日本プロ野球の未来と独立リーグが果たすべき役割について」の場で星野が訴えたのが野球界全体の利益を考えることと、その利益を底辺拡大に使うということであった。

 そのための一つの案が野球クジの導入である。「野球クジ=八百長」に繋がるという考えは安易で古いものであり、そこで立ち止まっていてはいつまでも進歩がないとまで話していた。

 野球クジの導入については昨年行われた自身の野球殿堂入りを祝うパーティーでも話しており、野球界の今後を願う気持ちが強いことをうかがわせた。強い敵に立ち向かい、野球界の発展を願った闘将、星野仙一。その強い闘志は最後まで衰えることはなかった。(文・西尾典文)

 偉大な野球人でありました・・・・・。

 冥途で、再び語りましょう・・・・。

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