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日本医師会の「癌」!!

危ない病院

日本医師会の「癌」!!

東大医学部vs.順天堂大学 学閥争いで、命を失った患者は多い!!

暴力団も呆れるほどの東大医学部vs.順天堂大学 学閥争いは、凄まじく徹底している!!

東大医学部vs.順天堂大学 学閥の壁はバカの壁――徹底解剖 日本の大組織

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文春オンラインより
 ナンバー内科・外科、医局講座制、大学純血主義……。おおくの弊害を生み出した「旧体制」は崩れつつある
◆◆◆

「第1、第2外科が連携せず、競争的関係で手術数を伸ばしていた」(毎日新聞2016年7月29日付)

 群馬大学医学部附属病院で、同一医師による肝胆膵(肝臓、胆道、膵臓)の手術を受けた患者が相次いで死亡していた問題で、学外有識者でつくる医療事故調査委員会は7月30日、群馬大学の学長に最終報告書を提出した。

 その中で指摘されたのが、昨年4月に統合されるまで、群馬大学病院では第1外科と第2外科の教室が消化器、呼吸器、乳腺などの手術を重複して行っていたことだった。問題となった肝胆膵がんも、2つの外科が独立して、競うように手術をしていたという。

 複数の診療科が同一の手術を重複して行っていると、当然、限られたスタッフが分散して、手術室や病室なども効率よく回せなくなり、診療体制が手薄になる。また、診療科間に壁があると、それぞれ独自の手術の手技や習慣ができて標準化されず、診療の質が低下する。こうしたことが、今回の問題が起こる背景の1つにあったと報告書は指摘している。

 企業などの組織運営に携わる人たちから見たら、このような極めて非効率な体制が放置されてきたことに、驚かれるかもしれない。だが、これが我が国の「ザ・医学部」なのだ。

 第1内科、第2内科、あるいは第1外科、第2外科といった名称を、医学界では「ナンバー内科」「ナンバー外科」と呼ぶ。実は、この名称が残っていること自体、群馬大学が旧弊(きゅうへい)な医学部組織を引きずっていることを物語っているのだ。

「医局講座制」の非効

 このナンバー内科、ナンバー外科の起源は、東京大学医学部にある。

 ドイツの権威主義的な医学を手本とした明治政府は、1893(明治26)年に「医局講座制」を導入。これによって帝国大学(現・東京大学)医学部に20の講座ができ、16人の教授が誕生した。その中心を担ったのが、それぞれ第1~第3まであったナンバー内科とナンバー外科だった。

 医局講座制とは、教授を筆頭に、助教授(現在は准教授)、講師、助手(現在は助教)、医員、大学院生、研修医、関連病院の医師らから組織される講座(教室)の構成員が、そのまま医学部附属病院の医局として、一つの診療科を担うシステムのことを指す。

 一般的に診療科は、内科なら「循環器内科」「呼吸器内科」「消化器内科」「内分泌代謝内科」、外科なら「心臓外科」「呼吸器外科」「胃食道外科」「肝胆膵外科」「大腸外科」といった専門分野ごとに分かれている。

 これらの専門分野を、第1外科が「心臓と呼吸器」、第2外科が「肝胆膵」、第3外科が「胃食道と大腸」といった具合に、分担して運営するのが当初の構想だったと思われる。

 ところが、講座の主宰者である教授が大きな権力を持ち、独立性が強くなったことで、講座どうしが互いに干渉せず、交流もしない組織文化が生まれた。第1外科が受け持つ心臓病の患者に胃の病気が見つかったとしても、第3外科と協力して治療するのではなく、すべて第1外科で診るという不文律があったのだ。

 さらには、教授が代替わりするたびに、カバーする専門分野が広がるケースもあった。呼吸器が専門だった教授の後釜に、消化器が専門の教授が就き、残った助教授や講師が、そのまま呼吸器を担うといったことがよくあった。こうして、ナンバー内科やナンバー外科の各講座がカバーする診療の範囲は、無節操に重複していった。

 この超非効率なシステムを各地の大学に移植していったのが、東京大学を筆頭とする「旧七帝大」だったのである。

医学界のピラミッド

東京大学医学部附属病院 ©文藝春秋

文春オンライン 東京大学医学部附属病院 ©文藝春秋

 日本の医学界には厳然たるヒエラルキーがある。

 その頂点に立つのが「旧七帝大」だ。明治から昭和初期に「帝国大学」と称された7つの国立大学(東京大学、京都大学、東北大学、九州大学、北海道大学、大阪大学、名古屋大学)は、医学界において事実上、研究者・教育者の養成機関としての役割を果たしてきた。

 一方、これに対抗してきたのが、「私立御三家」だ。明治期に設立された医学校に起源を持つ、慶應義塾大学医学部、日本医科大学、東京慈恵会医科大学の3校は、旧七帝大が研究重視なのに対し、臨床医を養成する目的で設立された。ただし、慶応大は、研究者・教育者養成機関としての性格も色濃く持っている。

 このピラミッドの下に来るのが、大正期に旧制医学専門学校から、大学令公布にともない医科大学に昇格した「旧制医科大学」だ。臨床医の養成を目的として設立された大学で、千葉大学、金沢大学、岡山大学、熊本大学などの地方の有力大学がこれにあたる。

 また、その下には「旧医専」がある。第二次世界大戦中に医師を増やすために設立されたり、戦後に大学に昇格したりした医学専門学校や女子医専がこれにあたる。信州大学、岐阜大学、三重大学など地方大学が中心で、群馬大学もこのグループだ。私立大学では、岩手医大、東京女子医大、昭和大、大阪医大、久留米大などが、このグループに入る。

 そして、ピラミッドの最下層にあたるのが、「新設大学」だ。高度経済成長にともない問題となった医療の地域格差を解消するため、1973年に田中角栄内閣が掲げた「一県一医大構想」のもと、各地方に新設された医科大学や医学部だ。

 国立では旭川医大、山形大、浜松医大、島根医大、香川医科大学(現・香川大)、琉球大などがこれにあたる。私立大も、この時期、各地に医学部が新設された。北里大、杏林大、帝京大、東海大、近畿大、福岡大などだ。

 これらのピラミッドの下層にあたる大学に、旧七帝大や慶応大などの有力校は、自分たちの「領地」を押さえるがごとく、教授陣を続々と送り込んでいった。そして派遣された教授らは、そこでも領地を広げるため、地域の基幹病院に医局員を送り込み、関連病院をつくっていった。

 ちなみに、この関連病院のことを、医師たちは「ジッツ」と呼ぶ。ドイツ語で「座る」を意味するジャルゴン(業界用語)だ。この言葉からも、教授ポストや関連病院の役職をめぐる争いに、椅子取りゲームや国取り合戦の感覚が強かったことがうかがえる。

 こうして、有力校出身の教授たちは、自分たちの母校のシステムをそのまま移植して、医学部の組織をつくっていったのだ。

診療科の壁

 だが、この医局講座制の弊害は、無視できないほど大きかった。

 たとえば、地域の病院で手術が必要な患者がいたとする。その病院では手に負えないとなると、紹介されるのは、主治医が所属する医局の大学病院か関連病院だった。しかも、医師が第1外科所属であれば、第2外科の医師のほうが手術は巧(うま)かったとしても、患者は第1外科に送られたのだ。

 第1外科と第2外科は交流がないので、同じ大学の隣どうしであるにもかかわらず、手術の手技や習慣が異なっていた。たとえ第2外科のほうが優れていたとしても、第1外科には第1外科のやり方があるので、それを採り入れることはなかったのだ。

 他にも、こうした「診療科の壁」があると、困ることが多かった。

 たとえば、進行肺がんの手術では、肺を切除するだけでなく、気管支や大動脈、横隔膜などの一部も切除する場合がある。こうした大きな手術を行うには、呼吸器外科医だけでなく、大血管の手術ができる心臓血管外科医や、気管支や血管を再建できる形成外科医などの協力が不可欠だ。しかし、診療科の壁があると、当然、こうした連携を必要とする治療はできない。隣の診療科の協力を仰げないから、勢い、自分たちでやってみようとする――。こんな恐ろしいことが起こりかねないわけだ。

 ちなみに、現在のがん治療は、外科だけでは成り立たなくなっている。内視鏡治療医、腫瘍内科医、放射線治療医、リハビリ医や理学療法士、各種認定看護師、精神腫瘍医、緩和ケア医等々の専門職の人たちが、1人の患者を多面的に支える「チーム医療」が不可欠なのだ。

 また、患者が高齢化して、持病が複数ある人も増えている。たとえば、糖尿病があると、術後に傷が治りにくく、感染症などの合併症も増える。したがって、事前に糖尿病の専門医に治療してもらってから、手術に臨む必要のある人が増えた。つまり、外科と内科の連携も不可欠なのだ。

 だが、診療科の壁があると、それができない。群馬大学では、大学病院ならではの総合力を生かしたチーム医療が果たして十分できているのだろうか。あのような事件があっただけに、非常に怪しいと思わざるを得ない。

今なお残る「ナンバー制」

 いずれにせよ、医局講座制では限界が見えていた。1990年代には、医師任せの医療である「パターナリズム(父権主義)」が否定され、欧米流の「患者本位の医療」を求める声が強くなった。この潮流の中で医局講座制も批判され、2000年代前後には、患者にもわかりやすい「臓器別」に講座を再編する動きが強まった。

 旧制度(アンシャンレジーム)の象徴であった東京大学医学部も、1995年から講座の再編成を行い、ナンバー内科、ナンバー外科制を終わらせている。

 現在の東京大学医学部附属病院のホームページを見ると、内科は「総合」「循環器」「呼吸器」「消化器」「腎臓・内分泌」「糖尿病・代謝」等々、外科は「一般外科」「胃・食道」「大腸・肛門」「肝・胆・膵」「血管外科」「乳腺・内分泌外科」等々と並んでおり、一般の人でも、どの外来に行けばいいか、かなりわかりやすくなっている。

 他の旧七帝大もチェックしたところ、東北大学病院、京都大学病院、大阪大学病院で、ナンバー内科、ナンバー外科が廃止され、すべて臓器別に再編成されていることが確認できた。しかし、北海道大学、名古屋大学、九州大学では、いまだにナンバー内科、ナンバー外科が残っていた。

 たとえば九州大学病院のホームページを見ると、呼吸器外科、消化管外科、乳腺外科が2つずつある。教室が第1外科と第2外科に分かれているからだ。これでは患者は、どちらを受診するのが正解か、わからないだろう。

 ほんとうに馬鹿げたことだと思う。ナンバー内科、ナンバー外科が残っている大学のほうが診療の質が低いとは断言できないが、一部に「患者本位」でないところが残っているのは確かだ。群馬大学病院の事例は、決して例外とは言えないのだ。

壁を破った心臓外科医たち

天野篤医師 ©文藝春秋©

文春オンライン 天野篤医師 ©文藝春秋

 医学界の名誉のために言うと、こうした旧弊な体制は、ひと昔前に比べると、かなり改善されてきた。それを象徴する出来事が2012年2月にあった。順天堂大学医学部心臓血管外科教授(現・同大医学部附属順天堂医院院長兼任)の天野篤医師が、東京大学病院で天皇の心臓手術を執刀したことだ。

 かつてなら、東京大学以外の医師が、天皇の心臓にメスを入れるなどありえなかった。ましてや、日本大学医学部に3浪で合格した私立大学の教授が、東京大学の医師に求められて手術をするなんて、考えられなかったはずだ。

 これには、東京大学の心臓外科の教授が、天皇が手術を受けた冠動脈バイパス手術ではなく、重症心不全(人工心臓や心臓移植など)の専門家であったことも関係していたようだ。しかし、かつてならそんなことはお構いなく、たとえ天皇であろうと、東大の医師だけで手術しようとしたかもしれない。

 なぜ、このような牢固な壁を打ち破ることができたのか。それは、天野医師の世代の心臓外科医たちが、実力で医学界の古い体質を変えていったこととも無関係ではないだろう。

 10年ほど前まで、医局講座制が揺るぎない体制であった頃、医学部を卒業した新米医師の大半は、すぐに診療科を選んで、自分が卒業した大学の医局(講座)に入局した。たとえば、外科医になりたければ、出身大学の第1外科や第2外科に入局したわけだ。

 もし、そこが腕を磨くのに十分な症例数やノウハウを持っていなかったとしても、いったん入局した限りは、教授に無断で医局を出ることは許されなかった。もし「足抜け」しようものなら、札付きになって満足なポストも得られない、まるでヤクザ組織を思わせる業界だったのだ。

 しかし、天野医師らの世代の心臓外科医たちは、医局を足抜けして、国内外の病院で武者修行した人が多かった。たとえば、メディアにもよく登場する南淵明宏医師は、奈良県立医大を卒業後、医局講座制に反発して、自分の意思でシドニーやシンガポールの病院に出向き、心臓手術の腕を磨いた。現在、昭和大学横浜市北部病院循環器センターの教授を務めている。

 天野医師も出身大学の医局には入らず、関東逓信病院(現・NTT東日本関東病院)、亀田総合病院、新東京病院、昭和大学横浜市北部病院など、国内の病院で腕を磨いて、02年から順天堂大教授の地位に就いている。

 両者とも「新東京病院」を経由しているが、実は千葉県松戸市にあるこの病院は、「バチスタ手術」で有名な須磨久善医師が初代心臓外科部長を務め、次に天野医師が引き継いだあと、高梨秀一郎医師(現・榊原記念病院心臓血管外科部長)、山口裕己医師(現・昭和大学江東豊洲病院心臓血管外科教授)など、錚々(そうそう)たる心臓外科医を輩出してきた。

 こうした、大学の医局に属さない心臓外科医たちがメディアで注目され、圧倒的な症例数の手術を高いレベルでこなすことで、とくに経営を重視せざるを得ない私立大学では、彼らの存在を無視できなくなった。「権威」だけでは、患者が来てくれない時代になってきたからだ。

「私学の雄」も凋落?

 前述したとおり、旧医専や新設の医学部は、教授を旧七帝大や慶応大学などの有力校から迎え入れてきた。その選考にあたって重視されたのは、「臨床の腕」よりも、むしろ「論文の数」だった。とくに、引用回数の多い海外の医学雑誌にどれくらい論文を掲載したかを示す「インパクトファクター」と呼ばれる数字が重視され、その累積ポイントが高いほど実績があるとされたのだ。

 しかし、その結果、研究業績は立派だが、腕は一流とは言えない医師が、大学病院の教授の椅子を占めるようになった。だが、2000年頃から、メディアが病院の手術症例数や実力がある医師を紹介するようになり、インターネットの普及も手伝って、論文業績だけの教授では患者が集まりにくい時代になったのだ。

 現在では、多くの医学部が、論文だけでなく臨床の腕も重視して、教授を選ぶようになった。その戦略がうまくいっている大学の1つが、順天堂大学医学部附属順天堂医院だろう。

順天堂大学医学部附属順天堂医院 ©文藝春秋© 文春オンライン 順天堂大学医学部附属順天堂医院 ©文藝春秋

 天野医師だけでなく、肺がん手術の名手である鈴木健司医師(呼吸器外科)、胃がんの腹腔鏡手術で知られる福永哲医師(消化器・低侵襲外科)、肝がんのラジオ波治療で東大を日本一にした消化器内科の椎名秀一朗医師など、実力あるスター医師を集めている。彼らはみな、順天堂の卒業生ではない。

 一方、順天堂大学に対して、私学の雄である慶応大学は、凋落傾向にあると報じられている。ジャーナリスト・森省歩氏のレポート「慶應大学病院の失墜 順天堂に並ばれた私学の雄」(「文藝春秋」2015年6月号)によると、慶應大学病院の1日あたりの外来患者数は、2001年当時、およそ5500人を数えていたが、2014年は3000人を割り込むまでに減少した(順天堂医院は約3900人)。入院患者数も1日平均792人と、病床数で勝る慶應大学病院が、順天堂医院(1日平均943人)に、大きく水をあけられている。

 1990~2000年代の慶応大学は、王貞治氏の主治医として知られる北島政樹医師が医学部を率い、当時最先端だった腹腔鏡手術やロボット手術に挑むなど、東大病院に堂々と対抗できる実力や権威もあった。しかし現在は、長年医療を取材してきた筆者でも、ぱっと有力医師の名が浮かばないほど、覇気がないように感じる。

 森氏の記事では、学閥を廃して有能な人材を登用してきたことが順天堂の躍進の要因で、一方の慶応大はナンバー1の地位にあぐらをかき、教授の8割を母校出身者が占める純血主義が凋落(ちょうらく)の要因の1つと分析されている。

 慶応大と同様のことは、東大でも言えるだろう。教授陣の純血率が高いのはもちろんのこと、腕がいいと評判の医師も決して多くはない。それに、国立大学法人化したことで、医業収入も上げていかねばならない立場になった。東大こそ「ナンバー1」の地位にあぐらをかいていて大丈夫なのか、考える必要があるのではないだろうか。

 最近では、医師たちの間でも意識改革が進み、診療科や学閥の壁を、易々と超えるようになってきている。たとえば循環器内科で、心臓手術が必要な患者がいた場合、自分の大学の心臓外科医の腕では難しいと評価した場合は、別の大学の信頼できる医師に紹介する。そのようなことが、かなり普通に行われるようになってきている。

 しかし、群馬大学の事件は、旧態依然とした医局講座制や診療科の壁、大学のヒエラルキー、学閥などがいまだに根強く残っていることを思い知らされるきっかけとなった。

 このような体制や意識が医学部の組織に残っているかぎり、理想的な患者主体の医療には到達できまい。それ以上に、患者の命が危険に晒(さら)されかねないことも、あの事件を見れば誰も否定できないはずだ。

 ナンバー内科、ナンバー外科が残っている大学は、あらためて自分たちの組織を患者の立場で見直してもらいたい。さらには医療界全体が、事件を他人事として眺めず、アンシャンレジームの残滓(ざんし)を克服する契機にするべきだろう。

以上

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